東京・世田谷区、駅から徒歩十二分、築十二年の3LDK中古マンション。販売価格、八千八百万円。「五年前なら六千万円台だった物件です」と、不動産仲介業者は淡々と話した。三十代後半の若い夫婦が物件を見に来たが、結論は出なかった。共働きで世帯年収一千二百万円、それでもこの価格は手の届く範囲を越えている。東京都心のLDK物件は、もう若い家族のためのものではなくなりつつある。
新築マンション平均一億円超え
不動産経済研究所の発表によれば、東京二十三区の新築マンション平均販売価格は、二〇二三年に初めて一億円を超え、二〇二四年も一億一千万円台で推移している。中古マンション市場も追随し、駅近・築浅の物件は軒並み数千万円台後半から一億円前後に達する。住宅ローン金利は依然低水準だが、毎月の返済額は世帯収入の三割を占める水準が常態化している。
三つのトリレンマ
若い家族が住宅選択を迫られるとき、彼らが直面するのは「価格」「面積」「通勤時間」の三つを同時に満たせない、というトリレンマだ。都心近くの広い物件は買えない、買える物件は遠いか狭い、近くて広い物件は中古でも一億円を超える。
三つの選択
- 都心の狭い物件——通勤時間を優先し、専有面積を妥協。家族四人で60㎡台に住む。
- 郊外の広い物件——面積を優先し、通勤時間を妥協。片道一時間半の通勤を受け入れる。
- 賃貸の継続——購入を諦め、賃貸で柔軟性を維持。子どもの学齢期に合わせて住み替える。
地域別の格差
東京都心部と、都心から離れた郊外との価格差は、過去十年で拡大している。同じ70㎡の3LDK物件でも、都心区(千代田・中央・港・渋谷など)では一・五億円を超え、郊外の駅徒歩十五分以上の物件では四千万円台で見つかることもある。価格と立地の関係が急峻になり、中間の選択肢が薄くなった。
共働き必須化
三十代から四十代の住宅購入者の世帯構成を見ると、共働き世帯の比率が二〇〇〇年代の四割から、二〇二三年には七割超に上昇した。住宅価格の上昇に対し、片働きでローンを組むことが現実的でなくなった結果だ。これは家計の安定性を高める一方で、出産・育児期の働き方の選択肢を狭める要因にもなっている。
| 地域 | 新築3LDK平均 | 中古3LDK平均 | 賃貸3LDK平均(月) |
|---|---|---|---|
| 都心3区 | 2億円〜 | 1.5億円〜 | 40-60万円 |
| 23区西部 | 9000万円台 | 7000万円台 | 25-35万円 |
| 23区東部 | 7000万円台 | 5000万円台 | 18-25万円 |
| 近郊県 | 5000万円台 | 3500万円台 | 13-18万円 |
「買えなくなった都市」のサイン
住宅価格が中位所得世帯の平均年収の十倍を超えると、その都市は「住宅価格上昇による中間層の追い出し」現象が顕在化する、というのが住宅経済学の標準的な見立てだ。東京二十三区の中位世帯年収はおおよそ六〇〇万円台、新築マンション平均価格は一・一億円。倍率は約十八倍。すでに、若い中間層が住める都市の境界線を超えている。
「家を持つ」の意味の変化
若い家族の中で、住宅購入を生涯の目標としない人が増えている。「賃貸で身軽に動きたい」「親世代と同じように郊外に大きな家を建てる必要を感じない」——これらの声は、単なるライフスタイルの好みではなく、価格に対する適応の結果でもある。「持たない」という選択が、消極的な妥協ではなく積極的な選択肢として位置づけられはじめている。
都市の構造を映す住宅
住宅価格は、それ自体が都市の社会構造を映す指標だ。誰が、どこに、どのように住めるか。この問いに対する答えが、ここ十年で急速に変わった。東京のLDKは、もう若い家族のためのものではない、という事実は、若者を批判する話ではなく、都市そのものが大きく変容したという話だ。次の十年、若い世代がどこに住むのか——その答えは、東京の輪郭そのものを書き換えていくだろう。
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